平昌オリンピックの金メダル第一号は”小平奈緒”
平昌オリンピックの直前の大会まで
スピードスケート500mの種目で
無傷の15連勝、
そして1000mでは世界新記録と
まさにノリにのっている選手が
スピードスケート“小平奈緒”選手です。
とにかく強すぎる“小平奈緒”選手に対して
海外メディアも平昌オリンピックの
スピードスケートは、
男子は誰がメダルを獲るか
予想ができない状況ですが、
女子の金メダルの可能性が
最も高いのが“ナオ・コダイラ”と
最高の評価を付けています♪
その評価はスピードスケートの本場、
オランダ人記者もうならせています。
平昌五輪のスピードスケートで
個人種目でメダルを獲れば
1500mの銀メダリスト
“高木美帆”選手に続いて
女子では岡崎朋美選手以来の
二人目の20年ぶりの快挙になります♪
強すぎる“小平奈緒”選手は
どのように生まれたのでしょうか?
そしてその強さの秘密は
どこにあるのでしょうか?
小平奈緒 強さの秘密は13年間支えたコーチの存在
小平奈緒選手が31歳という年齢で
“世界新記録”を樹立した裏には
長く付き合い続けた
恩師(コーチ)の存在がありました。
そのコーチこそ現在も二人三脚で
彼女の成長を支え続ける
“結城匡啓”コーチです。
結城コーチの小平奈緒選手に対する
最初の印象は
「なんでこんなにスケートが下手なの?」
意外ににもそんな印象から始まった
小平奈緒のスケート人生でした。
そんな第一印象から始まった
二人三脚で取り組んだ
13年前からのトレーニングは
誰もが驚愕するような内容でした。
長野県茅野市、蓼科高原の
スピードスケートが大変盛んな
地域で生まれ育った小平奈緒選手。
三歳からスケートを始め
高校時代はインターハイの
500m、1000mで優勝、
団体でも同種目優勝で無敵の存在でした。
高校生の17歳で既にメディアの
注目を集めていましたが
小平選手は決してそれにおごる事なく、
当時から目標は「世界!」と決めて
日々トレーニングに打ち込んでいました。
当時から“精神面”と“フォーム”も鍛えて
それが全部兼ね備わった時に世界に近づける
と語っていました。
高校卒業後の小平選手は、
中学校の頃から希望していた
“信州大学”に入学しました。
結城コーチとの最初の出会いは
信州大学でした。
むしろ、結城コーチに会うために
信州大学進学を希望していたのでしょう。
実は結城コーチは長野五輪の金メダリスト、
“清水宏保”選手を育てた
信州大学教授でスケート部コーチでした。
高校時代は”無敗!”と鳴り物入りで
信州大学に入学した小平奈緒選手。
ですが何度も言いますが、
結城コーチの小平選手の第一印象は‥
「なんでこんなにスケート下手なのかな?」
これには小平奈緒選手も
スケーティングが下手なのを
自覚をしていたらしく、
結城コーチから“へたくそ”
という罵声を浴びても
逆に自覚している分、
スッキリそのまま言葉を
受け止めていたそうです。
現在は分かりませんが
小平選手は当時”ドM”だったんですね。笑
結城コーチはそんな小平選手を
基礎から徹底的に指導し直し、
その指導方法は独特なモノでした。
腰をかがめてお年寄りみたいに
とにかくゆ~っくり進む。
このトレーニングの狙いは
同じ速度で体重を前に
移動させていく方法で
体重移動の際、
身体のバランスが崩れないよう
徹底的に体にしみ込ませていきました。
この「お年寄り練習」にも深いこだわりがあり、
少しでも体の重心が片っぽに片寄っていると
それを結城コーチに指摘され
初めからやり直しをさせられました。
このフォームの改善だけで、
「0.5~0.6秒」変わって来るらしいのです。
小平選手自身もその教えを信じ
とにかく言われた事をやり抜くという
強い気持ちでコーチとの練習に
向き合っていきました。
結城コーチとの出会いから五年、
23歳の時に初めてバンクーバー五輪
日本代表に選出されました。
もちろん目標は上位進出でしたが…
期待された500mでは12位と敗戦。
涙を浮かべた記者会見では
「ここをスタートラインとして
とにかく上を向いていきたいと思います」
と力強くコメントしていました。
今後は意識してできない事を
無意識にできるように
トレーニングを積む事を
決意した瞬間でした!!
二度目のオリンピックのソチでは、
目標は表彰台でしたが…
5位入賞。
前回の12位から着実に
順位はあげたが
惜しくもメダルには届きませんでした。。
そこで結城コーチを信じ、
フォーム改造を決意します。
小平奈緒を変えた”フォーム”とは!?
そのフォームは下半身は韓国人の
腰の位置が低い姿勢で
上半身はオランダ人のように
肩をあげたのような高い姿勢をとる事でした。
上半身と下半身を分けて
フォームを改造し
下半身の股関節をより
柔らかくすることで
足が自然と前に出やすくなるという
効果が得られたそうです。
小平選手自身もストロークが
飛躍的に伸びているのを
実感できる程それは的をえた
フォーム改造でした。
それをモノにした事で
小平選手にしかできない
自己流のフォームが完成したのです。
実際にこのフォーム改造のおかげで
バンクーバー五輪で12位だった
頃よりも一秒以上タイムを
短縮できたそうです。
そして本格的に
自転車競技の練習にも取り組み、
それはまさに男子の競輪選手並みの
練習で、一般の女子競輪選手よりも
ギアを重くしとにかく徹底的に
下半身を鍛え抜いたそうです。
更に結城コーチ独自の
トレーニング方法で
“体幹”を鍛えぬいた小平選手は
現在の地位に至るまでになりました。
小平奈緒 オランダ留学を決めた”謎のメダリストとの対談”とは
ソチ五輪で5位入賞を果たした後、
小平奈緒選手の人生を
大きく変える事となったのが
五輪メダリストとの謎の対談でした。
そこには、オリンピックの
金メダリスト“清水宏保”選手、
銅の“岡崎朋美”選手がいました。
その謎の対談で問われたのが、
小平選手に足りないモノは何か?
小平選手は“闘争心”と
ハッキリ答えました。
清水選手、岡崎選手も
口を揃えて”優しすぎる”
小平選手自身も感じていた
ハングリー精神をやしなうため、
単身自腹でスケートの本場
オランダ留学を決意しました。
そこには何から何まで
一人でやらないといけない生活でした。
小平選手自身も自分の
行動すべてに責任を負わないと
いけない生活に身を投じ、
それが今の自分の強さになったと言います。
オランダでは憧れだった、
長野オリンピック金メダリスト
“マリアン・ティメル”コーチのもと、
オランダのトレーニング方法や
考え方を学んだことで
“日本の良さ”も同時に
学ぶ事ができたそうです。
しかし、マリアンコーチが教える
闘争心というモノは
すさまじいモノでした。
「相手を殺すような
“モチベーション”で試合にのぞめ!」
ただ、そこは日本人の小平選手、
その教えは自分には合っていないんじゃないか?
と疑問を持ったそうです。
そこで小平選手なりに
見出した答えと言うモノが
「相手がいてもいなくても一緒。
ただ自分の滑りをするだけ」
小平奈緒を劇的に変えた古武術との出会い
古武術から学んだことは、
どう体に負担を掛けずに
日常生活を行うかでした。
そこ見せられたのは一枚の写真でした。
お年寄りの人が米俵を何個も
平気で担いでいるその写真は
普通の人ならできっこない事を
どうしたらできるようになるのか?
そこで小平奈緒選手は
昔の人の身体の使い方を学びました。
本来人間が持ってい力を
最大限に引き出す古武術は
日本の伝統武術の
極意とも言われています。
そこで自分自身に向き合う
集中力を学んだそうです。
古武術研究所の高橋教授から
体のコアを鍛える
一本歯の下駄を紹介され、
この効果は氷を押す感覚が
得られるという事で
自ら自分に合った特注の
一本下駄を注文し、
重心の位置を意識しながら
トレーニングに取り入れました。
刃の一点を意識し、
力が集まるように立ち上がる練習を
何度も何度も繰り返す事で
古武術のかかとで押すと
より多くのパワーを使える事を
伝授されてからは
かかとからの着氷が安定し、
前にあった重心がより後ろになる事で
力強い滑りができるようになったそうです。
小平奈緒の世界記録はこうして誕生した!!
小平選手は12月9日に行われた
世界記録製造リンクとして有名な
ソルトレークシティリンクで行われた
1000mで
見事1分12秒09の世界新記録を樹立☆
その時の小平選手は
試合前は常に自分の中で
イメージトレーニングを行い
それを試合で披露しただけ
と言っていました。
そしてオランダ留学から
戻っての二年間は
別の取り組みがあったのです。
自ら男性と一緒になって練習する事で
女性と男性では“パワー”や“骨格”が違う中、
男性スケーターの後ろで滑る事で
一歩一歩のストロークを工夫し
同じリズムで滑る事で
ストロークも格段に伸び、
意識が変わってきたそうです。
この事により
他の女性では絶対に真似できない滑りを
身に着けたのです♪
結城コーチはこの二年間、
氷と離れている腰にあたる
“骨盤”や“腕”をいかに連動させていくか?
全身の連動をテーマにトレーニングに
取り組んできたそうです。
試合前のウォーミングアップで
他の選手はランニングをする中、
小平選手だけ奇妙な
トレーニングをしています。
これらはアメリカの最先端の技術を
取り入れたトレーニングで
「鍛える前に整える」
常にトレーニング前に
正しい動作をする必要が
あったためです。
オランダから戻った小平選手が
一番に取り組んだのが
このトレーニング方法だったと言います。
そこには小平選手の欠点を
見つけるキッカケにもなりました。
実は小平選手を診たトレーナーは
「背骨の1個1個が動いていない」
と指摘を受けます。
試合前に行う奇妙なトレーニングは
欠点でもある「背骨の1個1個」を
動かす練習でした。
それに加え、肩の関節の可動域を広げる
練習も等も同時に行っています。
100mの通過タイムが
飛躍的に上がったのは
陸上競技の練習で腕や体全体の筋肉を
連動させる練習を行ったおかげでした。
小平選手自身もその事は実感して
「体で使ってなかった部分も
今は自然と使えるようになった」
専門家によればそれはまさに
動物の“チーター”のようで
背骨の骨の1個1個が連動して
加速していると言います。
小平選手も目標は
動物のヒョウやチーターに
近づく事に変わったそうですね♪
オリンピックのメダルは
当たり前の目標で
今は“動物”になることが
目標に変わった事で
世界記録は生まれました♪
ちなみに20年前に
長野五輪で金メダルを獲得した
“清水宏保”選手も
イメージを広げる為に実際に
“チーター”が走っている映像を
何度も見返していたそうです。
その当時小学生だった小平選手も
憧れのチーター清水選手の領域に
限りなく近づいてきていますよね。笑
ですが小平選手の走りって
そんなにスピードを感じないのは
私だけでしょうか?
その疑問にも小平選手は
答えてくれていました。
究極を極めると人間は
早く見えないらしいです。笑
よく“ゾーン”入るとスポーツ選手は
相手が止まって見える!
と言いますけど
これは小平選手自身も
周囲から言われている事らしいのですが、
速そうに見えないのになんで速いの?
スローモーションに見える動き。
それこそが正に世界の頂点の
滑りらしいです。
まとめ
小平選手が目指す究極のスケート選手は
見ている人が鳥肌が立つような滑り。
それは長野五輪で清水宏保選手が
金メダルを獲った瞬間、
観客全員が立ち上がって
涙を流して喜んでいた。
その瞬間を自分もリンクの上で味わいたい
そして人間を超え、
動物に近づきたい。笑
ここまでお読みいただきありがとうございます♪
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