村主章枝が引退しなかった理由は?五輪に拘った壮絶な競技人生の真相!

アスリート図鑑

村主章枝さんは、元フィギュアスポーツ選手で
通称「氷上のアクトネス」と言われ、

その演技力は演技を観戦に来た人や
テレビの前の視聴者を釘付けにした事から
名付けられました。

そんな村主章枝さんが
今回「しくじり先生SP」に出演し、
現役時代の壮絶な葛藤と

フィギュア選手としては異例の年齢まで
なぜ現役生活を続けたのかを
赤裸々に語っくれました。

村主章枝さんが現役を引退されたのが、
当時現役選手としては最高齢の33歳で、

皆が口を揃えて

“もういいよ”
“よくやったよ、アクトネス”

と言ってしまうぐらい
現役にこだわりぬいた選手の一人です。

現役スポーツ選手の引き際‥

輝かしい功績を残して
引退する選手もいれば、

年齢から来る衰えを自身で感じ
引退してきた選手も多くいらっしゃいます。

村主さんは前者?後者?

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村主章枝の引退しなかった理由とは

「私、村主章枝は引退しないのでっ!」

これはまさに、ドラマ『ドクターX』の

「私、失敗しないのでっ!」

を思い出させるくらい、
村主章枝さんは番組内で連発していました。

その言葉が村主章枝さんの口から出る度に、
主演者が口を揃えて、

“もういいよ~、頑張ったよ~”

なんて笑い飛ばしてました。笑

村主章枝さんが現役にこだわり、
引退しなかった理由に関しては、

スポーツ選手なら誰もが憧れる
「オリンピックのメダル」でした。

村主章枝さんは過去二回オリンピックに出場し、
ソルトレークオリンピックでは5位
トリノオリンピックでは4位

入賞は果たすものの中々メダルに
手が届かない悔しい成績でした。

トリノオリンピックで完ぺきな演技を
披露した村主さんは自身の順位を見て、

なんで4位なの?
なんでメダル獲れなかったの?

と頭を真っ白にさせるぐらい
衝撃の順位でその時の記憶がないくらい
ショックを受けたそうです。

このまま終わってたまるもんですかっ!!!

そう心に火が付いた村主章枝さんは
現役続行を決意したのでした。

一方、金メダルを獲得した
荒川静香さんはこのオリンピックを
最期にスルッと引退されました。笑

しかし村主さんが現役続行を決意させた壮絶な体験が、
追い打ちをかける様に競技終了後に行われていたのです。

試合後の過酷なドーピング検査が火種?

村主章枝さんが、
トリノオリンピックで4位という順位で
失意のどん底にいる中、

競技終了後に着替えもできず、
スケートシューズも履いたまま

1位から4位までの選手を集めて
同じ部屋で行われたのが

過酷なドーピング検査でした。。

検査自体は「尿検査」をするだけでしたが、
それを待つ時間が地獄だったそうです

1位の荒川静香さんはもちろん、
自分はもう優勝を確信しているので
テンションMAXで喜んでおり、

2位と3位だった選手は
優勝候補大本命の選手だったらしく、

競技で大きなミスをおかして
大泣きしており、

4位の村主章枝さんは‥
メダルも獲れてないし、
横でワーワー外国人選手が泣いてるし、

どんなテンションで
結果を待ったらいいかも分からず

ただ泣くのを我慢していたそうです。

実はメダルを獲れなかった悔しさよりも、
そのドーピング検査の屈辱が火種となって

現役続行を決意したのではないでしょうか?

しかし、この決意こそ
「アラサーアクトネス 地獄の8年間」
始まりだったのです。。

地獄の競技生活8年間の真相とは?

「自称アラサーアクトネス」。笑

村主章枝さん自身が
番組内で当時の自分に命名していました。笑

トリノ五輪のあと、再出発を果たした
村主章枝さんの前に立ちはだかったのは

一周りも年齢が違う
若手ライバル達の厚い壁でした。

誰も聞いたことがあるその名前!

・浅田真央さん
・安藤美姫さん
・鈴木明子さん
・村上佳菜子さん

この若手の活躍に村主さんは
どんどん影を潜めてしまいました。

中でも一番きつかったのが、
年齢による衰えのせいか、

体力の回復が遅くなり、
当然の様に演技の質も落ちていきました。

その時、村主さんは名言を残しました。笑

「ベテランの経験は武器じゃないっ」

時間を戻して!っとドラえもんにでも
すがりたい辛さだったと思います。

その結果、村主さんが29歳でむかえた
バンクーバー五輪では代表落選。。

村主さん、ホントによくやったよ!
感動をありがとう・・・。

しかし、村主さんはまさかの
「引退しませんから~」発言っ!

誰もが目が点になって
その記者会見を見守りましたよね。

フィギュアスケートは20代前半で
引退をする選手がほとんどですが‥

村主章枝さんがスケートを大好き
という気持ちと、

当時の村主さんを見たコーチ陣も
「この出来で引退するのは不甲斐ない」
と、後押ししたそうです!

しかし、その後さらに悲しい事に‥

スポンサー撤退と環境悪化

フィギュア選手の大事な収入源は
世界選手権を優勝して400万円
その他はスポンサーによる収入や支援です。

当然、競技の結果が悪ければ
今まで支援してくれてた
スポンサーの撤退も仕方ありません。

村主さん自身も身をもって
それを体験する事になりました。

スポンサー撤退により、
村主さんの競技生活も大きく
変化してしまいます。

・体のケアができない
・スケートリンクが借りれない
・衣裳は使いまわし

大きく変わったのは
上記の三点だそうです。

スケートリンクが借りれないって
どういう事??

実は実力が上位の選手しか
貸し切りでリンクを借りれないそうです。

結果も出せていない村主さんが
実際にリンクを借りれたのは

早朝6:00~数時間だったそうです。
しかも貸し切りではなく、他の選手と一緒に
練習するしかありませんでした。

 

出典:https://www.joc.or.jp

この二種類の衣裳は同じモノで
衣裳を裁断しただけのモノです。悲

 

衣裳に関してはその時のテーマや
コンセプトが変われば
当然同じ衣裳は着用できず、

金銭的にも困った村主さんは
前回使用した衣裳を裁断したり、
なんとかお金をかけずに
イメージチェンジをしていました。

出典:https://cyclestyle.net

やりくり上手??
いやいや、そんな生易しい環境では
なかった事がうかがえますね。

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家族を巻き込んだ極貧生活の裏話。。

スポンサー収入もなく、
大会で目立った成績が残せなかった

村主さんはどのように33歳まで
現役を続けていたのでしょうか?

実は‥
そこには家族をも巻き込んだ
壮絶な競技人生でした。

金銭面の援助をしてくれていたのは
実のご両親でした。

父の退職金、母の貯金を切り崩し、
競技生活を続けていたのです。

競技を続ける度、
お金を借りる度に
何度も家族会議が開かれ、

しまいには母親から、
「もうお金ないよ。。」
と言われるようになったそうです。

村主章枝33歳 最期の五輪挑戦は?

五輪の日本代表になる為には、
以下の流れで勝ち進む必要があります。

・地方ブロック予選

・東、西日本選手権

・全日本選手権※

・五輪出場

※シード権を持つ選手は
全日本選手権から出場できる

村主さんが33歳でむかえた
最後の五輪挑戦は
大変厳しい状況からのスタートでした。

目立った成績を残せていない村主さんには
シード権というものが与えられず、
地方ブロックからの出場になりました。

地方ブロックをなんとか
勝ち抜いてのぞんだ
東日本選手権‥

8位という成績でした。
当然、成績では全日本選手権に
出場する事ができず、

五輪代表の夢も打ち砕かれたのです。

しかし、諦めきれない村主さんは
33歳の年齢でも次の五輪を
本気で目指そうと悩んだそうです。

村主章枝 引退を決意!そのきっかけは?

出典:https://sports.yahoo.co.jp

悩んだ村主さんに声をかけてくれたのは
彼女を16歳の頃からコーチをしている
ニコルさんでした。

現役続行を貫いた村主さんから
離れていく人は多かったそうですが、

コーチのニコルさんは村主さんと
一緒に五輪を目指していました。

そんなニコルさんから
「振付師にならないか?」
と声をかけらたそうです。

振付師になるには選手のままでは
できない職業になる為、

・引退して振付師を目指すか?
・現役を続行するか

葛藤していました。

そして最後にきっかけをくれたのは
以外にも村主さんの妹さんでした。

妹さんも幼い頃から村主さんと同じく
フィギュアスポーツをしており、

早くに現役を退いた妹さんから

「輝かしいまま引退できる選手なんて
ほんの一握りだよっ」

まさに妹さんは自分の事を
言っているかの様に村主さんに
話したそうです。

最終的には、
その妹さんの言葉がきっかけとなり

競技を引退し、
振付師の道を選ぶ事になりました。

村主章枝の現在は?

出典:インスタグラム

現在は拠点をカナダに移し、
振付師のプロとして資格も取得し、
選手を育てられるまでになっています!

なぜカナダを選んだのでしょうか?

実はカナダには振付師になる為の
環境がしっかり整っており、

子供に教える事も自由にでき、
リンクの空き時間を振り付け用の
演技練習にあてる事ができるんです。

日本ではスケートリンクを借りるのに
あんなに苦労したのに‥

ですが、村主さんは最期の8年間の
競技経験があるから
今の自分があると語っていました。

「引き際は自分で決められないけど
決めるしかないですよね」

最期にそう語って番組を
終えていました♪

 

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まとめ

最期まで五輪への目標をぶらさず、
現役を送った村主章枝さんの姿。。

番組を見てとても感動しました♪

そんな村主さんが最後に
心残りだったことは

33歳で挑戦した東日本選手権が
最後の大会になると思っておらず、

両親にその姿を見せられなかった事を
悔やんでいました。

ですが今後の目標として、
振付師として更に活躍し

アイスショーに呼んでもらえる様になったら
ぜひ両親を呼びたい♪と前向きに
語ってくれました。

ここまでお読みいただいてありがとうございます♪

 

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